~私について~
① 本当は甘えたかった幼少期
3 人きょうだいの長女として産まれた私は、物心がついた時から自分に自信がなくて、親に褒められた記憶もありません。
私は少し変わった子どもで、みんなと外で鬼ごっこや長縄などの集団遊びが苦手で、ひとりで漫画を読んだり “理想とする私”を空想して絵を描いたりすることが好きでした。
親からは『子供らしく天真爛漫、社交的にお友達と遊ぶような子』をよしとする様な雰囲気が、子どもながらに伝わっていました。
人と関わるのに苦手意識があり、外では”大人しく良い子”を演じていましたが、自分を見て欲しい気持ちもあり、家の中では特に母親にふてくさたり、ひねくれた物言いをしていました。
本当は寂しい、甘えたい気持ちを言えずに‥ そんな態度を見た父親からは、私が親に口答えをしていると捉えられてしまい、怒鳴られることもありました。子どもだったので上手く言葉に出来ずに、“私を見て欲しいの”と心の中で叫んでいた記憶があります。
② 自信のなさが際立った思春期
益々自分に自信がなくなり、学業や運動面、見た目もどれも秀でたものがない、周りがキラキラして見えてしまい、自分は取り柄のない人間なんだ…と自分自身を責めていました。
他人と目が合うと自分の悪口を言われていると思い、私はみんなから嫌われている価値の無い存在とも思い込んでいました。
下のきょうだいが強豪スポーツクラブに入り、その手伝いで親は忙しく寂しい気持ちになり、親に対して満たされない感情は更に強くなっていきました。
私を出産後、専業主婦となった母親は、子ども達が大きくなると扶養内のパートで働き始めました。
姑から厳しい言葉を言われても、父親に助けを求めることなく耐えていて、母親自身も経済的に養って貰っている思いが強いのか、父親に気を遣っているようにも見えました。
夫に気を遣わない為に、母親を反面教師とし、手に職をつけ経済的自立をしようと考え、看護師の道を選びました。
③ 周りの評価ばかり気にしていた社会人
地元も離れ無事に看護師となりましたが、元々の自信のなさがある為、強い口調で先輩から指導されると萎縮し、自分を責めて追い詰めていました。 その結果朝が来るのが怖くなり、動悸や蕁麻疹といった症状が現れ、心療内科に通い、薬を飲みながら仕事をしていた時期もありました。
私は母親から“我慢強いところが長所”と言われ育ちました。そして職場では“穏やかで優しい人”と言われ、幼少期と同じく“周りのイメージ通りでいないと自分には価値がないんだ” 本当はもっと言いたいことがあるのに…という気持ちを抱えながら仕事を続けていました。
紆余曲折ありながらも看護師としてキャリアを積み、仕事にも慣れて落ち着いた日々を過ごし、縁あって結婚もしました。
④ 予想外に辛かった結婚生活の始まり
義理家族の対応に再び悩まされ、自分の自信のなさから相手の一言一言を気にして落ち込んでいました。 妊活もしていましたが、上手くいかない自分が不良品の様に思えてきて、毎日泣いている日々が続いていました。
夫に義理家族や妊活の思いを伝えると『気にしない方が良いよ』との返答に、自分の全てを受け止めてくれる人はいないんだ…と孤独を感じ心に蓋をするようになりました。 その後、苦労はしましたが待望の第一子、その後双子を無事に出産することが出来ました。
⑤ 悩み多き新たなフィールド
地元に戻り子育てをすることになりましたが、私にとっての地元は良い思い出がない、自分を押し殺していた場所だったので窮屈な日々が始まりました。
ママ友という新たなフィールドで “子どもの為に交友関係を広げないと” と異常に気を遣い、自分で自分を追い詰め、苦しんでいました。
そんな中でカウンセリングに出会うことができました。
⑥ カウンセリングとの出会い
自分の悩みを人に言うことは恥ずかしいこと。周りからも嫌われてしまう。と思っていた為、今まで深い心の奥底を誰にも見せず、悩みを打ち明けられませんでした。
初めてカウンセリングの中で、自分の心の奥の思いや悩みを全てぶつけることが出来ました。
繰り返しカウンセリングを受け、ありのままで良い、他人軸でない自分軸で生きることの大切さに気付き、自分自身が救われました。
長くなりましたが、私の悩んでいた日々から心が変化していった経験が、今悩んでいる貴方に役立てられたら嬉しいです。
悩んでいる人が自分軸で生きてゆける、心地よい社会になることを願っています。